次男の骨折

我が家の男の子たちは骨折をしたことがあります。

長男は不可抗力で骨折してしまいました。
長男の骨折

しかし、次男は違います。

やんちゃをしての骨折です。

その時の次男は2歳半くらいでした。

わたしは長女の出産を次の週に控えていて、
もうすぐ実家へ帰る、というときでした。
(帝王切開のため日程が決まっていたのです)

その日はやけにテンションが高いまま、
夕方になり、
わたしはキッチンのほうで
お夕食の準備をしていました。

あまりの騒がしさに
「うるさい!静かにしなさい!!」
と、わたしの声も十分うるさいな、とか考えながら
準備を進めていると

突然

どん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

と、ものすごい音がしました。

なにかやらかした、とすぐにわかりました。

けれど、疲れていたわたしは
薄情ですが
駆け付けるわけではなく、
ゆったりと
「何したの」と言いながら
寝室へ向かいました。

長男が慌てて
「次男ちゃんが、どん!てなったよ!!!
泣いてるよ!!!!!」
と言いに来ました。

たしかに泣き声がしています。

しかも、いつもよりも激しく、
様子が違うのはすぐにわかりました。

ベッドの上でうずくまっている次男を見て
「折れたな」
と思いました。

「まんま~・・・あ、あ、・・・・」と
足が痛いことを一生懸命に訴えています。
(次男はこのとき、まだ言葉を話していませんでした
次男の言葉の遅れ

もし、ただぶつけたりしただけならば
泣きながらも歩いてわたしのところへ来るはずです。

しかし、次男は動けなかったのです。

つまりこれは重傷ということです。

激しい泣きも落ち着くことがありません。

長男に事情を聞くと
タンスの上からベッドに向かって飛んで遊んでいて
次男が飛んだ時にベッドの頭部分の棚のほうへ飛んでしまい、
足をぶつけたそうです。

バカが・・・・・・

と、思いながらも
わたし自身、
疲れていた、
お夕食の準備をしていた
臨月だった
とはいえ、怒鳴るだけで見に行きもせず、
ものすごい音がした後も
駆け付けるわけでもなく、
若干イライラした態度で向かったのです。

薄情すぎる・・・・・・・・・・・・

と、自分が怖くなりました。

しかし、ここには泣き叫んでいる次男がいます。
自分の自己嫌悪に浸る暇はありません。
反省は後です。

時間は夕方の4時半。
準備をして出たら
下手したら外来が終わってしまう時間です。

しかも木曜日。
外来がお休みの病院もたくさんあります。

まず調べたのが長男が骨折した時に受診した病院です。

お休みでした。

次はもう近くの病院優先です。
とにかく早くに病院に入らないといけません。

調べると

徒歩2~3分の病院が開いていて
午後の外来時間もまだ余裕がありました。

長男と次男を二人乗りベビーカーに乗せて
防寒用に毛布をしっかり持ち、
次男は足を少しでも動かすと
激痛のために大泣きをするので慎重に乗せました。

骨折と言うことは
状況はどうであれ、支えている骨が折れているのですから
動かすとものすごく痛いです。

何しろ周りの血管、神経も傷ついています。
それが動くのですからたまらない痛みです。

なので、骨折をしたら動かないように固定をする必要があります。

次男の場合、二人乗りベビーカーでしたので
後ろ側に乗せ、
通常足を下ろして置く所にオムツバッグを置き、
その上から通常後ろ側のテーブルとして付属されているものを置き、
さらにその上にバスタオルを置き、
少しだけ足を拳上して足を乗せました。

骨折の場合、血管も傷ついています。
なので目には見えませんが
身体の中で出血しています。

重力で血液は下のほうへ行くので
より痛みもまし、むくみます。

血液を心臓へ戻すには筋肉も必要ですが
足を骨折していては動かせません。
なので足を少し上げて重力で戻すようにします。

しかし張り切って挙げすぎると
足の付け根の太い血管の流れを阻害してしまうので
少しの拳上とします。

子供は特に、大人の感覚で挙げてしまうと
挙げすぎてしまうので注意します。

外来へ行くと、ものすごい人で
かなり待ちます、と言われました。

長男が4歳。
発達障害を疑われているほどに落ち着きがなく
発達障害 子どもの障害の疑いを指摘される
発達障害 専門外来を受診する
発達障害の疑い 幼稚園入園 集団生活に入る

わたしが今の状態で、
次男を見ながら、長男を落ち着かせるように目を光らせる自信はありません。

一度戻ってから、また来よう、と思いましたが
季節は寒い冬。
外で待つこともできませんし、
おうちに入るとなると、また次男を移動させないといけません。

仕方なく待つことにしました。

問診票を書き終わって、待合室の外で絵本を読んで落ち着かせます。
二人乗りベビーカーは大きいですし、
待合室に座る場所なんてありません。
とにかく自分が倒れてはいけないので
気合が入ったのか
妙にわたしもテンションが高くなり、ベビーカーの横に座り
絵本を何冊も読みます。

次男は最初の1冊くらいまでは聞いていましたが
そのうちに寝てしまいました。
泣き疲れたのか、
はたまた出血しているからなのか。
とにかく唇が青くて、少し震えていました。

待合室、受付と外の間の自動ドアのところにいたので
たしかにコートを着ていても
わたしも震えるほどに寒かったし、
手もかじかんでいましたが
次男の場合は心配です。

受け付けの方に顔色が悪くなってきたこと、
眠ってしまったことを伝えました。

とりあえず先にレントゲンを撮りましょう、となり、
呼ばれて、長男はベビーカーに座って待っているように言い聞かせ、
次男を抱っこして撮影室へ入りました。

その時点で、長男は異様な空気を察したのか不安な顔で泣きそうになっており、
追いかけてきたり騒がないか心配になりましたが
今は次男の撮影が優先です。

次男は抱きかかえられたら、やはり痛みで目を覚まし、
さらに撮影のために固定をしたら痛みと恐怖で大泣き。

「お母さん、しっかり押さえて!
なんでコート着てるの!」
と怒られながらも
寒すぎと、混んでいる中の撮影だったのでササっと終わらせるために
押さえ付けました。

撮影も終わり、外に出ると長男がいません。
焦ると、撮影室の先の技師さんの出入り口近くから
「ママがいなかったよ~」と
泣きながらやってきました。

泣き叫んで、がんばった次男に
「がんばったね、もうお写真はおしまいだよ、がんばったね」
と伝え、
「よく待っててくれたね、ありがとう」
と抱っこをし、
撮影待ちの方に頭を下げて
また自動ドアの外へ行きました。

この辺りで
なんだかイライラもやもやしてきました。

待合室も撮影室も
次男と比べたら緊急度は低い人たちであふれかえっていたのです。

もちろん、ずっと混んでいる中をお待ちなのもわかります。
痛いから来ていることもわかります。

しかし、骨折したて(?)で処置もしていない子が
痛みで泣いたりしていると
「うるさいな、黙らせなさいよ」という目でじろじろ見られたり、
次男の状態を伝えに行った受付では
モンスターペアレンツが
「自分の子を優先しろ!」と言いに来たかのような対応。

この考えがモンスターペアレンツなのかもしれませんが
でもぬくぬくとした暖房の効いた待合室で世間話をしていたり、
患者本人と付添い人が堂々と椅子に座っていたり、
長男が飽きてきたりしているのを見て
「連れてこられちゃってかわいそうにね」と言われると、
預け先がないわたしに、どうしろと言うのか、と
頭に来てしまいました。

長男の「まだ?まだ?」と
次男の時折来る「痛い!!!」
(無意識に体を動かしてしまって、
同時に足も動いてしまったために痛みが増す)
をなだめつつ、
順番を聞きに行くと
「あと〇番です!順番通りに呼んでいるのでお待ちください!」
と言われて、
もうなんなんだよ・・・・となっていました。

待合室がすいてきたので中に入りましたが
二人乗りベビーカーは場所を取ります。
白い目で見られながらも、
臨月のわたしに骨折をしている次男をしっかりと足が動かないように抱っこすることは困難です。
次男の痛みが出来るだけないためにはここに乗せておくしかないので
そのまま待ちました。

呼ばれた結果は右足の脛の骨折でした。

幸いと言いますか、
パキッと折れていてくれたので
手術などにはならずに済みました。

「では、来週にまた来てください」と言われたので
「ちょっと難しいです」と言うと、
「お子さんの骨折は回復も早い分、
回復の度合いやそれに伴う機能障害などもしっかりと見て行かないといけません」
と言われました。

「重々承知しておりますが出産しますので難しいです」
と言うと、
みなさん、目が点・・・・・・・・・・・・・
「おかあさんがですか?」
「はい、わたしです」
「あぁ・・・・・そうなんですか・・・・・・・・」

コートを着ていたから気づかれなかったのか、
しかし室内では脱いでいましたが・・・・・
まぁわたしは患者ではないので注意してみないですね。

しかし来てほしいとのことでしたので
手術前日に診察、またその1週間後にも診察、
と怒涛の診察ラッシュとなりました。

次男の骨折は脛なのですが
ギプスをしても動いてしまうでしょう=安静にできない=負荷がかかってしまう
ので足先から太ももまでのギプスを巻きました。

巻き終わると、もう動かないから痛みも落ち着いたようで
ようやく泣くことがなくなりました。

これにはわたしも覚えがあって、
次男を出産後、帝王切開の傷が動くことが痛くて
4日くらい、のたうちまわっていたのですが
4日目にウエストニッパーをしていいですか?と許可を取りしたところ・・・・・
天国が待っていました。

傷が動くということはそれだけ痛いのです。

次男はその後、順調に回復をし、
レントゲンの撮影も4回目には一人で撮影室に入り、
技師さんと会話をする余裕まで出てきていました。

外来は今度は新生児を連れて行かないと行けなくなったので
待合室で待つことは難しいので
午前中に診察券を出し、午後の一番を受診する、というスタイルで行きました。

次男はギプスをして2~3日後にはギプスのまま歩きだし、
ほんとうに太ももまでがっちり巻いてもらってよかった・・・・・と思いました。

2か月後、無事に化骨(折れた骨を覆うようにできる新しい骨)がしっかりと出来、
ギプスから解放されました。

始めは「痛い痛い」と泣いていましたが
(さすがに生の足は2か月ぶりなので)
2日目には歩き始め、
1週間後には骨折していたのか?というくらいの動きをするようになっていました。

骨折中の2か月は
次男のギプスにバスタオルやらタオルを巻き、その上からゴミ袋を巻き、
養生テープでがっちりと巻き、お風呂に入れていました。
そんなにする余裕のない日は
新生児の長女の使っていた沐浴剤スキナベーブにタオルを浸し
よく絞って体を拭きました。

ギプスが取れて一番うれしかったのは
次男が治った、ということはもちろんのこと、
お風呂が3種から2種になったことでした。
(長女:ベビーバス、長男:お風呂、次男:ギプス用入浴など)

なので、新生児がいても
どんどんお世話は楽になっていくばかりでした。

今またタンスから飛び降りることを長女と次男はやり始めているので
雷を落として怒ります。

もう、子供のあんな姿は見たくないし、
元気でもけがはしてほしくないです。

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