時代を少し遡り、長男の幼稚園時代のお話です。
長男が調子に乗りやすいこと、そしてお友達にやられている、と他のママさんに聞いたので
入園して、まだ言葉も達者ではなく
→次男の言葉の遅れ→次男の言葉の遅れ 2歳半 外来受診
→次男の言葉の外来 3歳初回専門外来
→次男の言葉の外来 専門外来 経過観察の結果
幼稚園での生活はどうなのか
次男の様子と共に最近の二人の様子を聞きに幼稚園へ行きました。
次男はやはり言葉はつたないものの、
コミュニケーションが取れないことで本人が困る、という状況に
言葉が出てくるようになってきている、とのことでした。
意外と次男は集団生活もそれなりにしていたので入園して驚きましたが
いざとなったら長男がいる、という安心感があったようです。
長男は皆勤賞でしたので、次男が行くときには必ずいたのです。
それが次男の幼稚園生活を支えてくれていたのだと、
長男が卒園してから気が付きました。
→次男の進級 長男のいない幼稚園
そして、長男。
やはりやられている、というか、
強いタイプの男の子たちの仲間に入ろうとして
はじかれて、時には手も出されて、
他のお友達のところへ行く、というところはあるようです。
しかも懲りない^^;
ので、めげずにまた行くそうです。
そして、やられる・・・・
しかし、決して長男からは手を出さないそうです。
手を出して、ケンカを売りまくっていては困ってしまいますが
やられっぱなしというのも困ってしまいます。
男の子ですし、這い上がっていく力も身に着けて欲しいですし、
力での上下関係もあるでしょう。
やられて、なめられてばかりも悔しいものです。
手を出すな、とはわたしが日ごろから口を酸っぱくして言ってきたことです。
手を出すと出されたほうはもちろん痛いし、
出したほうも身体も心も痛いからです。
そう説明をして納得していました。
しかし、それでそのままでいいものなのか・・・・
と考え込んでいると、
ふと先生が
「長男くんはただのお調子者でやられるだけのお子さんではないんです。
大人びた気遣いができる子です。」
と、おっしゃいました。
大人びた気遣い??と思っていたら
「人の気持ちに敏感です。そして、心にふっと入る喜ぶことを言ってくれます。
今日でいえば、もう引退された先生がリトミックに来てくれるのですが
みんなは今日あったこと、自分のことなどを話したり、
引退されているので見知らぬ先生には「だれー?」と言ったり、
または少し距離を置いてしまいます。
大人としては、もう少し話しかけて~とか思ってしまうのですが
そこは仕方がないですよね。
そのときに長男くんだけが「リトミック楽しかった、またやりたいなぁ」と先生に話しかけたのです。
自分のことではなく、先生がリトミックに来てくれている、ということをわかっていての言葉です。
リトミックに来てくれている先生に、リトミックのお話を、うれしかったというお話を伝えたのです。
これは幼稚園児ではまだ無理なことです。
大人でもできる人はそうそういません。
こうやって、社会性の面でも子供らしいところと大人びたところがあるので
ある意味、とても長男くんはアンバランスです。
だから目立ってしまうし、怒られてしまったりするのかもしれません。
でもこの気遣いのできるところと、子供らしさはつぶしては欲しくありません。
とてもいいところですから」
とのことでした。
とても難しい・・・・・
けれども親としてはとてもありがたい言葉もいただきました。
アンバランスな、精神的に大人びているところと子どもなところが
極端すぎるので目立つのかもしれません。
これは小学生になって
慌ただしく過ぎていく中で忘れがちでしたが
大切な言葉でした。