備忘録として子どもたちの妊娠中のことを書いておこうかなぁと思い、
つらつらとつづっていこうと思います。
長男を妊娠したときにはわたしは働いていました。
肉体的にも精神的にもハードな勤務でした。
ただ、職場は上司にも先輩にも恵まれ、
ここでずっとやっていきたい!とお勉強もがんばっているときでした。
初めての妊娠で、最初はまさか自分が・・・??
と驚きのほうが大きくて、何度も検査薬を試しました。
ほどなくして、つわりが始まり、ほんとうにきつかったです。
吐きたいのに吐くものがなく、ムカムカして、
ずっと船に乗っているような、揺れているような、めまいがしています。
そんな状態なのでもちろん食欲もなく、あっという間に体重も落ちていきました。
そんな状態で主人のご両親や親戚とのいざこざがあり、
もうどうしたらいいのか、考える力すら湧いてこない・・・・・・・・・・・
主人ともよくぶつかりました。
ささいなことでもネガティブにとらえてしまうのです。
男の人は身体の変化はありませんから、
ただただ、生活が変わっていくことへの不安や心配、そして
わたしたちに至っては、親戚関係などのいざこざという抱えなくてもいいことまで起こったので
主人も余裕がなかったのだと思います。
つわりは、とうとう夕方からお小水も出なくなり、これは危険だと思い、
朝一番で受診をすると、先生は一目見ただけで「入院しましょう」と言いました。
よほどだったようです。
それが5か月に入ったころでした。
入院して点滴をするとすぐにお小水も出て、
少し歩き回れるほどに元気になりました。
しかし、体力はなく、ほとんど寝て過ごしていました。
ただ吐くことはなくなり、吐き気も治まってきて、ずいぶん楽になったように思います。
人生初めての入院でした。
一日の食事量もフルーツ一口、とかでしたが食べたら先生がほめてくれて、
なんだか「あぁ、これでもいいんだ。少しずつ前に進んで、よくなっていくほうに進んでいるのかな」と思えました。
よく不安な妊婦さんはなかなか退院したがらない、と聞きましたが、
わたしは慣れない入院生活から早く抜け出したくて、
「今日はお茶を50mlくらい飲めました」
「さっきメロンを一口食べられました」
などと必死に食べられるアピールをして、帰りたい、帰りたいオーラを出していました。
すると先生から「週末外泊してもいいよ。ただし、必ず家族のいるおうちに帰ること。
帰ってきて体重が減ってたら退院は延期ね」と言われました。
主人は週末もお仕事でいないので実家へ帰りました。
そして点滴のありがたみを知るのです。
点滴がないだけで、ただの水分と聞いていたのに、いや、水分がそれだけ重要だったということですが、
ふらふらです。
こんなに身体って重たかったっけ?と思うほどに。
でも退院を延期されてはたまりませんから必死にがんばり、なんとか体重をキープ。
次の週には退院しました。
また職場復帰もし、働いていて、張りというものがわからず、
「なんとなく今日はおなかが固い気がする」と話すと、すぐに受診を勧められました。
切迫早産でした。
毎朝張る話をしたら、ぎりぎりまで横になっていて、立ち仕事もできるだけ避けるように言われました。
そして張り止めが処方されました。
副作用が強く、どきどきが止まりません。
しかし、それだけよく効いているということか、とも思いました。
すばらく服用していると慣れてきました。
しかし検診のたびに「張っているね、安静にして」と言われ続けました。
そうして30週を過ぎたころ、またしても衝撃的なことが起こったのです。
いつものようにエコーをしてもらっていると
「あれ?もう30週過ぎてるんだっけ?前回はどうだったのかな・・・」といつもと違うコメントが。
「はい・・・・・・」と言いながらも慣れたはずのどきどきが・・・・・・・
なにかあるのか・・・・・・・・・・?????????
「赤ちゃんが小さいね。前回から大きくなっていない」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?????????????????
横になったまま、暗いお部屋でわたしの頭もまっくら。
たしかに妊婦に気づかれないほどおなかは出ていなかったけれど、
まさかの赤ちゃんが小さいからとかって・・・・・・・・・・
なんで?????
つわりが長くて、わたしの体重も増えていないから????
よく張るのに気付いていなかったから赤ちゃんに栄養がいっていなかったの????
精神的にも不安定になったことも関係しているの????
と今更どうしようもないことばかりが頭の中を巡ります。
これは長男が産まれた後にもまた経験することになることなのですが。→発達障害
胎児発育遅延で専門外来へ通うことになりました。
しかし正期産になっても赤ちゃんの体重が2000gを超えることはなく、
お産に耐えられないかもしれないから帝王切開になるかもしれないとの話もありました。
無事に産まれてきてくれれば、お産のスタイルはなんでもいいです。
ただただ、無事に産まれてきてほしい。とだけを願っていました。
このころには主人ともめることもあまりなくなり、
今思えば、長男が、いつももめてばかりいるわたしたちを心配して
このような状態になったのかな、と思います。
主人とは検診のたびに体重の話をして、
出産への覚悟などを話していて、
とてもテレビや雑誌にあるようなキラキラしたほんわかしたマタニティライフではありませんでした。
→長男妊娠からの出産へ続く