通りすがりの人に怒鳴られたとき。事情はそれぞれあるけれど・・・

新しいネタが入りました。

子育てをしていると
ほんとうにたくさんのネタがあふれていて

書き記しておくと
あとで、
前はこんなことに悩んでいたんだなぁとか
ずいぶんと図太い神経になったなぁとか

以前との自分の変化にも
気が付くことが出来て
反省したり、
おかしくなったり、

でも貴重な時間と
とてもたくさんことを感じて
学ばせてもらっているなぁと

改めて感謝の気持ちを感じます。

さて、今回はネガティブな出来事だったのですが
自分の感じ方の変化を感じた出来事です。

ベビーカーを押しながら
携帯で電話をしていたんです。

まぁ決してほめられることではないことも
重々承知です。

ただ、言い訳をさせてもらえるのならば、
予定が詰まっていて
移動中に連絡をしなければいけないことがあったのと、
さらにはその時間にしか連絡の取れない主人からの電話があったので
話していた、
という事情がありました。

そういう事情もありながら
電話をしていると
通りすがりのご年配の方に
「電話しない!子ども二人もいるんでしょうが!!!」
と怒鳴られました。

文字通り、怒鳴られました。

電話口の主人もびっくりしたほどに。

わたしは、さーっと歩みを止めることなく
歩き去りました。

以前も似たようなことがあったんです。

そのときは電話は通じなかったのですが
やはり主人に用事があって
お昼休みの時間しか連絡は取れないので
チャンスを狙ってかけたんです。

そういう日はやはり予定が詰まっているんですよね。

頭の中では
帰ったら、これこれをして、
お夕食の下ごしらえをして、
おトイレとか行かせたら出発して、
用事を済ませたら
これをして、
その間は子どもたちはこうして・・・・・

とシュミレーションをしながら
その合間にかけられるタイミングを見計らっていて

「今!」というときにかけたんです。

そうしたときに長男がぐずって
「もう!さっさと歩いてよ!」と言ったら

「さっさと歩けじゃないでしょ!
あんたこそ電話しながら歩くんじゃない!!!」
と怒鳴られて、
そのまま去られて、

わたしは急いでいたり、
頭のシュミレーションもストップして

次の瞬間には、
瞬間湯沸かし器のように頭に血が昇って
でも、もういないし
追いかけていくのも顔も観たくないし、
でもイライラするしで

長男に八つ当たりをしてしまったんです。

「こっちの事情も知らないで
一部だけ見て批判してこないでよ!!!!
なんなのよ!!!!!」

もう怒りのやり場は
ぶつけようがなさ過ぎて
一番してはいけない、
子供へぶつけてしまったんです。

あとでのものすごい後悔と自己嫌悪は
いまだに忘れられません。

長男は「ごめんなさい、ママ・・・・」
と怯えていました。

わたしはそのとき観た場面だけを見て
批判をしたりすることは好きではありません。
子育てへの口出し

事情があったのか、
どうしてこういうことをすることになったのか、
考えて
行動するなり、発言するなりするように心がけています。

たとえば、子供が叩かれたと泣いている。
もちろん、手を出したほうがいけないのですが
ではなぜ、手を出してしまったのか。

もしかしたら、何かしたり、言ったりしたから
口が達者でなくて、
手が出てしまった、ということもあるかもしれません。

そうしたら、ただ手を出したからと怒られる子は納得がいきませんし、
泣いたほうは、見つからなければ、何をしても大丈夫、と
学習してしまいます。

物事の本質を見誤ることもあるんです。

夫が帰ってきたときに
お部屋が散らかったままで
子供と寝入っていた。

そこで、その場面だけで判断すると
怒りしか出てきませんが

どうしてこんな状態なのか、
そのまま寝てしまっているのか。

もしかして今日は何かとても疲れてしまうことがあったのかな。

ならば、出来るなら自分が片づけよう、
寝かせておいてあげよう、

と思いやりへとつながることもあります。

一部だけを見て批判なんて
誰でもできます。

そして今回、歩き去ったわたしは
決してほめられることをしているわけではないことも承知の上で
必要だからしていたのです。

子どもたちへの責任も放棄なんてしていません。

何よりも通りすがりの
一部だけを見て怒鳴る人に
子育ての批判をされて左右されてたまるかい!

と思ったのです。

ただ、通りすがりの方が
わたしの事情を知るすべなんてないのですから
仕方がない、とも思います。

通りすがりの人にまで
自分の事情の理解を求めるのは
これまた自分勝手で迷惑な話です。

その人も虫の居所が悪かったとか、
その前に何か似たような場面で嫌な思いをしたのかもしれません。

ただ、子供の前では止めて欲しかった・・・

以前と比べて
いいのか悪いのか、
ずいぶんと図太くなりました。

大切なこと、芯だけはぶれずに
けれど、柔軟にいいものは取り入れていきたいものです。