祖父の訃報

5月のある日のことです。

朝一番でラインが入っていました。

「おじいさんが亡くなった」

わたしの母方の祖父は今年90歳を迎える高齢でした。
ここ5~6年ほどは認知症も進み、
施設で生活をしていました。

特に状態が悪いなど聞いてはいませんでしたが
突然でした。

祖母は5年半前に亡くなっています。

自分が産まれたときからいる人が
またひとり逝ってしまいました。

89歳。
大往生と言っても過言はないです。

それでも。
いくらそうだと言っても。
さみしいものはさみしいのです。

母には、子どもたちの小学校、幼稚園があるし、
九州までの旅費は急に取るとしても安くはないので
今回はいいよ、と言われました。

今年の初盆のときに帰るか、
機会があったら、でいいから無理はしなくていいよ、とのことでした。

ちょうど主人はその日から一泊で出張の予定でした。

とりあえず、朝をバタバタと過ごし送り出した後、
ふと、もう荼毘に付されたらあの姿を目にすることは、
今行かないとできない・・・と気が付きました。

お線香をあげて供養はできる。
祈ることで冥福を祈ることはできる。

わたしは人見知りで、
祖父とは近くに住んでいたわけではないので懐いていたかと言うと
正直わかりません。
ただ、人見知りのわたしのために一生懸命お庭で雪だるまを作ってくれた映像があったり、
わたしが一人で会いに行くと駅まで祖母とお迎えに来てくれたこと、
ハーモニカが好きでよく聴かせてくれたこと、
祖父の書いた小説にわたしたち孫も登場させてくれたこと、
カラオケが好きで、一緒に行くと「最近の人の流行りはなに?聴かせて」とわたしの歌も聴いてくれて
歌詞についてなど話したこと。

もちろん旅行などの思い出もありますが
思い出すのはきっと何気ない場面だったりするのです。

頭では分かっていても
心はやっぱり一目会いたいと思いました。

九州なので、もちろん日帰りは出来ません。

長男はここで皆勤が途絶えてしまいます。
次男は忌引き扱いにしていただけるとのことでした。

わたしの気持ち、ただのエゴで
子どもたちや家族を振り回していいものか。

今会っておかないと後悔をする。
しかも取り返しのつかない後悔です。
わたしは「やらない後悔よりもやる後悔」を心掛けてきました。

しかし、今のわたしはひとりではないのです。

そうして迷っていると、出張先に着いた、と主人から電話がありました。
迷っていることを伝えると
「お前の気持ちはどうなんだ?」と一言。
「荼毘に付される前に会いたい」と伝えると、
「じゃぁ行こう。俺も有休もらうから」と。

そこからは怒涛の旅支度でした。

主人はすぐに有休がとれたので
出張先から戻って来られる時間に合わせて飛行機を探し、
長男、次男にはそれぞれ小学校、幼稚園をお休みして九州のひいおじいさんのお葬式に行こうと思っている話をしました。

長男は年長さんのときに皆勤賞で卒園式で表彰をされたこともあり、
小学校でも皆勤賞を取りたいとがんばっていましたので
始めは「嫌だなぁ・・」と言っていました。
しかし、「ひいおじいちゃまと会えるのはもう最後」と言うことを受け止めてくれて、
「行こう」と決断してくれました。

次男は進級して、長男がいなくなった幼稚園をさみしく感じており、
次男の進級 長男のいない幼稚園
「幼稚園は休んでいいよ!」とあっさりしていました。

それぞれ、次の日のお昼ごろに早退をさせて空港に行くことにしました。
主人の喪服をクリーニングに出し、
旅支度をしました。

雨の中、次男を迎えに行き、
その後にタクシーで長男を迎えに行きました。
もうすでにヘロヘロになってしまっていましたが、
お昼には主人も帰宅し、夕方の便に乗るために空港へ向かいました。

一足先に母と妹は九州へ行っていましたので
父と弟と九州へ向かいました。
子どもの人数よりも大人の人数が多いことで心強かったです。

お通夜には間に合いませんでしたが
5年半前、祖母の葬儀で会った時にはいた人たちが
身体の不調など来られなかったりしていて、
久しぶりの親戚の方々に、
「あぁ月日が経ったんだな」と感じずにはいられませんでした。

葬儀を含めて
子どもたちの存在に本当に救われました。

人との別れのときには
様々なことが動くと思います。
それはいいことだけではなく、よくないことも表面化したりします。

それを今までで一番穏やかに迎えられたのは
「行こう」と背中を押してくれた主人であったり、
「もうひいおじいちゃまにはあえないの?さみしいね・・・」と共感してくれた子どもたちであったり、
旅費など様々な面ですっと協力してくれた寡黙な父、
「ありがとう」と言ってくれた母、
出棺の時に涙が止まらなくなったわたしの頭をぽん、と撫でてくれた弟、
気が付けば、母の右腕として動き回ってくれていた妹のおかげです。

ほんとうに家族の温かさとありがたさを感じました。

このように感じさせてもらえる機会をいただけたわたしは
祖父ときちんとお別れが出来たと思います。

しかし・・・祖父の兄弟が骨を拾っている姿を見て
たまらなくなりました。
別れのさみしさ、悲しさはもちろんのこと、
置いて行かれるさみしさを感じました。
出来ることなら、わたしはみんなの骨を拾ってから
天国でみんなと合流したいと思いました。

今回の葬儀で母方の祖父母はもういなくなりました。
いよいよ、一つの時代が終わるのです。
この地が、帰省でなく
いつしか観光となってしまうのかもしれません。
そう思うと、何とも胸が締め付けられます。

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