子どもを叱ると怒るの違い

先日、お友達と遊んでいて、
長男がお友達のママさんに叱られました。

工作で作った折り紙を人に向けて投げていたのです。

「人に向けて投げないんだよ」と言われているそばからまた人に向けて投げ、
一緒に工作をしていたメンバーのお子さんに当たりました。

「こら!だから人に向かって投げないって言ったでしょ!!!当たったよ!!!!」
ときつめに叱られていました。

わたしは工作に参加していた長女や次男のことをみていて、長男のことを見ていなかったのです。

人に向けて投げない、と言われて、長男のほうを見たときには2回目のお叱りの声とほぼ同時。

長男は顔が固まり、小さい声で「ごめんなさい・・・・・」と言って泣きそうになっていました。

わたしはすぐに長男のほうへ行き、「いけないって注意されたのに止めなかったからこうなっちゃったんだよね。
お友達に当ったよね。きちんと謝りに行こう。」
「・・・・さっき謝った・・・・・」
「小さい声で遠くから言ってもお友達はわからないよ。きちんとごめんなさいをしないと。ママも一緒に行くから」
と説得をし、謝りに行きました。

「すみませんでした。」
「あぁ、大丈夫ですよ~」とそこのママさんはにこやかに言ってくださいました。
「・・・・ごめんなさい」
「大丈夫よ~」と長男にも穏やかに答えてくださいました。

「きちんと謝れたね。もう繰り返さないようにしようね。お怪我をさせてしまうかもしれないんだよ」と話し、
「・・・わかった・・・・・」と長男はうつむいていました。

そのあとはしばらくしたらまたお友達と楽しく遊んでいましたが、
わたし自身の気持ちはへこんだままでした。

お友達のママさんに長男を叱らせてしまったからです。

本来はわたしがきちんと見ていないといけなかったのですし、
叱ることもわたしがしないといけなかったんです。
なのに、そのママさんにさせてしまいました。

そのママさんは今少し体調がよくないことも知っていたので、
余計に申し訳なかったのです。

よく怒ることと叱ることは違う、と耳にしますが、
その通りだと思います。

前の職場の先輩の言葉で、
「人に響く、伝えたいと思うことがあるならば、最低2時間はその人のことを考えないといけない。
でないと、伝わることはないし、響かない。」と言われたことがあり、
それはまさに今の子育てでも痛感することでした。

わたしはよく怒っているのですが、
それは「自分」がイライラしたり、怒っていて、発する言葉や態度、行動なので
それは子どもには、「ママが怒ってる」としか認識されません。

叱る、は「子ども」が良くない行動や言葉を発した時にそれはいけない、と注意やアドバイスをするための行動で
それは子どもが「自分自身がいけないことをしてしまった」と認識するものです。

この叱る、と言うのはとても難しくて、わたしはいまだにうまくできません。
どうしても自分が怒っている感情をぶつけて怒ってしまったり、
だらだらと長く話してしまって、うまく伝わらなかったり。

怒ることも叱ることもすごく労力がいります。
よその子を叱ることは特にその子を見ていて、その子のことを考えていないとできることではありません。

だからこそ申し訳なく、でもありがたさも感じていました。

今の時代、特に関係は希薄になりがちで、
よその子がいけないことをしていても叱ることまでできる人は少ないと思います。
責任と無責任

ありがたい関わりをしてもらえているんだ、と思うと
すごい、と改めて尊敬してしまいました。

あとでそのことをお伝えしたら
「でしゃばっちゃってごめんね。ママちゃんがんばってるのに言うこと聞かないからつい・・・・」と。

わたしは基本的に手抜きだし、抜けているところが多いのでがんばっているかと言われるとそんなことはないのですが、
わたしがたいへんそうだったから、その代わりに長男を見てくれていて、いけないことをしていたから叱った、
ということは実はものすごい勇気もいるし、考えて、さらに目を配ってくれていたということです。

さらには「叱って」くれたのです。

短い言葉で、わかりやすく。

だから長男には響きました。

もちろん親ではない人に叱られると突き刺さるものですが、
長男はそれから物を投げることはしませんでした。

おうちに帰ってから
「あのときは楽しくなっちゃってたんだよね。
でももしあれが固いものだったら、お怪我をさせてたよね。だからいけないってAちゃんのママは怒ってくれたんだよ。
長男くんが悪い子にならないように、注意してくれたんだよ。」と言うと
「そっかぁ、そうだったんだぁ」と少し顔が明るくなりました。

怒ると叱るは違うものですが、
怒られたほうも叱られたほうも心にはずーんと突き刺さるものがあります。

でも叱られたことは決してあなたを責めようとしたことではないんだ、とは伝えていきたかったのです。
長男を、または子どもたちを大切だからこその言葉や行動なんだと。

そう伝えることで、叱られたこともポジティブに受け止められて、
相手への気持ちも嫌なものになることはないのではないかな、と思います。

特に今回はわたしがやらなければならなかった憎まれ役をやっていただいたのです。
ものすごい労力をつかっていただいたのです。

そのフォローをすることはわたしの役目であるし、
もしこれが主人であっても同じだと思うからです。

叱るときには必ず主人かわたしかどちらかはフォロー役に回ろう、と決めてあります。

叱られたときに子どもたちの逃げ場があることも大事だと思います。

そう考えていくと、「叱る」ということはすごく難しいと思うのです。