子どもを褒められる

あるとき、道を歩いていたら声をかけられました。

「あら~あなた、この子たち全員あなたの子?」
「はい、そうです」
「まぁ~大変な時代にがんばってるわねぇ~」

そしてここで、長男、次男に向かって
「こんにちは~」とその方は声をかけました。

すると、
長男、次男もご挨拶。

我が家の子供たちは人見知りがあまりないのです。

「あら~おりこうさんねぇ~子供らしい子どもさんで。
よく育ててるのね」
とお褒めの言葉?をいただきました。

あら?なんか棚からぼた餅的にわたしまでほめられました。

以前に主人が「自分は見栄っ張りだし、
やっぱり子どもがほめられると自分も褒められたように思うし、うれしくなる。」

「だから同じように子どもが怒られたり、迷惑をかけると
それが自分の評価も下がるようで嫌だと思う。
嫌な人間だけど、たいていの親はそうも考えると思う」

と言っていました。

わたしはこれに関しては意見が違います。

わたしはきっとドライなのです。
「子どもがほめられたら、子どもがほめられた」
同じように「子どもが怒られた、こどもの評価が下がった」と思います。

そこに自分は入り込まないんです。

もちろん、子どもが叱られたとき、怒られた時には
自分が至らないからそうなった、と反省や落ち込みはしますが
ほめられたから自分の評価が上がるとは思いません。

子どもが怒られて、
「なんて嫌な奴、かわいくない子ども」と思われるのはもちろん嫌です。
子どもが嫌われることまでドライにはなりきれません。

ただ、子どもがほめられたときに
子どもをほめてくれる人には感謝はしますし、好意的に見えます。
でも自分まで好意的に見ているとは思えないのです。

わかりやすい話をすると
子どもが頭のいい学校へ入った、夫が大企業勤めだ、とかは
その子供やご主人は努力をしたんだなぁと思うのですが
だからと言ってママさん自身をすごいとはあまり思えないのです。

もちろんお子さんを教育したり、大企業勤めの夫をサポートしていることは
すごいのかもしれませんが
ママさん自身の地位ではないし、とかひねくれたことを思ってしまうのです。

だからわたし自身も子どもを褒めてもらうことはすごくうれしいですし、
ありがたいと心の底から思います。
主人のこともそうです。

しかし、自分の評価のために子どもを育てるわけではないし、
人様に迷惑をかけない、危ないことをしない、ということは
後々子どもたちが自分の足で人生を歩んでいくときに困らないように
強く生きていけるように、教えていくものだと思っています。

いつまでも親は生きていないし、
いつまでもくっついて回るわけにはいかないのです。

こういう考えをまとめていると
幼児の親にしては特にドライなのかな・・・と
少しへこんでしまいますが
もちろん子どもたちの成長が楽しみですし、
一喜一憂もするのですが
子どもは自分の分身ではない、ということを
忘れてはいけないと思ったのです。

個々に個性も人生もあるので
それぞれの人生に責任を持っていきたいと思います。