親が亡くなるということ

主人の同級生のお父様がお亡くなりになりました。

わたしは直接お付き合いがあったわけではありません。
主人も近所の同級生の親、というほどの付き合いだったようです。

しかし、とうとう自分の世代の親も亡くなる人が出てくる年代になったという
ショックがあります。

主人が、「親がずっと元気だとは思わないけど、亡くなるというのはショックだよね」
と話して、お通夜へ行きました。

実はここ最近、仲良しのママさんのご両親も亡くなられました。

弟の言葉を借りるならば、
人生の初めからの登場人物がいなくなることはショック、です。

親は産まれたときから、
それこそ乳飲み子の時から目も手もかけてきてくれて、見守ってきてくれています。
自立し、家庭を持った今でも精神的な支えとなってくれています。

それくらい絶対的な大きな存在なのです。
その親が亡くなる・・・・

正直、今は想像もつきません。

わたしにはまだ祖父ひとり、祖母ひとりがいますので
祖父母を残して先に親が逝くなんて、とも思ってしまいます。

しかし、いつまでも変わらないことはないんですよね。

日ごろは子どもたちの成長を慌ただしくしながらも感じていますと
忘れてしまいますが、
シビアな考え方ですが、人は生を受けたときから死に向かっていると思います。

ここ10年くらいで曾祖母、祖父、祖母、そして大事な弟分でした愛犬を見送りました。
人それぞれの人生の終焉があって、
それは妊娠、出産が誰一人として同じことがないことと同じように感じました。

看取った祖父に関しては
亡くなったとのことも、そのあとのこともよく覚えています。

十数年ぶりに会った弟を見て
「大きくなったなぁ」と言って笑っていて、
次の日また来るねって言って、面会時間ぎりぎりだったので帰ったのです。

そうしたら危篤だと。

あぁ、祖父は弟を待っていたんだな、と感じました。
やはり長男(父)の長男(弟)が成長した姿を一目でも見たかったのでしょう。
そして安心したのかなと。

人は産まれてくる時も選びますが
亡くなるときも選ぶと思います。

そうして葬儀。
とても慌ただしく、悲しむ暇もありません。

しかしそれは残された人がショックをただ受けるだけでなく
できることをすることができて、故人を懐かしむ時間を持つことができて
悲しむことから少し離れることができるためのものなのかなと思いました。

ここで争い事が起こることもある、ということも承知です。

目の当たりにして、人の生き死にには隠されていた感情なども
あふれさせる、それだけの大きなことなんだな、と痛感もします。

自分の親を看取るときにはできるだけ穏やかでありたい。
そう願わずにはいられません。