長男に冷たくしてしまう

以前からの悩みでもあったのですが、
長男に対して、
冷たくしてしまっていると自覚しています。

長男は1歳8か月の時に
「お兄さん」になりました。

本来ならば、
まだまだ甘やかされて、
甘えていい時期の子供です。

しかし、「お兄さん」になってしまいました。

この頃の月齢の差は大きくて、
次男が産まれたら、
長男の手も大きく感じましたし、
身体が重たく感じました。

こちらの言っていることもわかっていたので
コミュニケーションも取りやすい。

しかし、新生児の次男は
こちらが耳も目も手もかける必要がありました。

自然と
「あなたはこれはできるでしょう」
と期待を押し付けて、
出来ないことに目を向けることが多くなりました。

そしてさらに、
長男は発達障害を指摘されるほどに
落ち着きがなく、
発達障害の疑い 子どもの障害の疑いを指摘される日々のイライラは募るばかり。

怒鳴ることも手を上げることも増えて行ったのは
この頃からだと思います。

忘れられないことのひとつに
麦茶事件というのがあります。

時期は、次男妊娠中だったのか
次男が産まれてまだ間もない頃だったのか
はっきりとは覚えていないのですが
とにかく精神的にも肉体的にも
いっぱいいっぱいだったときでした。

わたしは長男とお昼寝をしていて、
先に起きた長男に
「まだお布団にいよう」と言い、
またうとうとしていました。

時間にして10分くらいです。

たかが10分、されど10分です。

普段からガスの元栓は閉めているし
水道なども含めて
危ないものには手は届かないようにしていました。

だから油断しました。

麦茶パックと乾燥肌の長男に使う保湿剤を
まぜて遊んでいたのです。

しかもご丁寧に麦茶パックは破いて、
保湿剤と混ぜたものをベッドと壁に塗りたくっていたのです。

正直、最初は
「麦茶のにおいがするなぁ」くらいで
のんきにうとうとしていました。

気づいたとたんに発狂して
奇声をあげて、長男を叩きまくりました。

長男からしたら
お昼寝から起きたのに
ママは相手にしてくれない。
だから自分で遊ぼう、と考えて
手の届くところにあったものを
お砂場遊びの感覚で混ぜてみたらおもしろかったから
どんどんやってみた。

というところだと思います。

危ないものだけでなく、
子供にとってはなんでも遊び道具になる、と言うことと
蓋は開けられないだろう、というわたしの過信があったから
麦茶パックも保湿剤も手の届くところにあったのです。

考えてみたら、麦茶パックは下の棚に置いてあったし、
保湿剤はすぐに塗れるように枕元に置いてありました。

棚は引けば開くし、
保湿剤のふたも回せば開くので、
ある日突然開けられるようになっていてもおかしくないのです。

自分の過失を棚に上げて怒鳴り散らし、
叩いた、
鬼のような自分を忘れることはありません。

それから長男は成長してきましたが、
寝るときには
あいかわらずひと肌を求めて
背中に手を入れてきたりします。

さみしい、という合図なのかな、とも感じます。

しかし、正直痛いし、冬は寒いです。

パン!と手を払いのけたり、
「痛い!」と声を上げます。

もう6歳なのに、と思う反面、
まだ6歳。
幼稚園児なのだから甘えたいのもあるよね、
とも思うのです。

しかし、ただただ怒ってしまうのです。

小さいのに、
次男や長女に比べたら
大きな長男は
出来ることもたくさんあるから、
期待して、やってもらって
うまくいかないことに怒ってばかりです。

こうして怒られてばかりの長男の
心が一番心配なのです。

何をやっても怒られる。
自分が行けないからなんだ、と
自分を認めてあげることが難しくなってきているのではないかと
強く思います。

長男と二人の時間を作ることは
普段一人で三人をみているわたしにはなかなか難しく、
寝る時もあっさりと三人で7時過ぎには寝てしまうので
夜も難しいので悩みました。

長男を冷たくしてしまうのは
様々な要因はあると思いますが
一番の要因は過剰な期待ではないか、と思ってもいるのです。

子供の人生なのに
その子がその子なりの道を歩めなくなってしまうように
邪魔をしてしまっている「毒親」になってしまっていないか。

ときどき振り返って
今までの自分を見直し、
また子どもたちと向き合っていく、
と言うことは大事だと思います。

遅すぎることはないと思うからです。

そうして気が付いたのが
ただ、抱きしめてあげる時間を作る。

しかし、きっと簡単なことなのに
一番難しいことに感じます。

まずはスキンシップを増やしてみることからすると
驚くほどに長男の表情と態度に変化が現れました。

次男や長女に対して優しくなったし、
こちらが聞いてほしいことも
落ち着いて聞いてくれます。

何より長男の表情が穏やかになりました。

心にもゆとりがないと優しくできない、と自分については分析できたのに
それを子どもに置き換えることを忘れていました。

長男も気持ちが穏やかになったから
様々なことがプラスに変わっていたのかな、
と思います。

まるでオセロが一気に色に変わっていったかのようでした。

そして、そんな長男を見て
わたし自身もまた優しくなれたのです。

スキンシップと言っても
ただ、こちょこちょ遊びをしたり、
お膝に乗せて本を読んだり、
3人を抱っこして、おしくらまんじゅうみたいにぎゅーっとしたり、と
特別難しいことをしたわけでもありません。

そして気が付きました。

特別な何かではなくて
その時出来る、ちょっとのことが
子供の心の安心感につながるということです。

いつもこう思えて、
好転して行けばいいのですが
わたしも馬鹿なので
つい最近あった大きな出来事があるのですが
(また後日詳しくブログに書きます)
そういう大きなことがないと
忘れてしまうのです。

自分にできることがあるのに、
自分よりも子どものアラを責める。

そうしたことを続けてしまって、
長男は最近、大きな爆発を起こしたのです。

一進一退だった、と
むしろここ最近は退いてばかりで
追い詰めていた、と気づかされました。