次男の保護者会 年中一年の次男の成長

えりぃです。

先日、次男の保護者会へ行ってきました。

もう長女を連れて行く、

いや、誰か子どもを連れて行く保護者会は最後なんだ・・・・

そう思うとなんだか複雑にさみしいような、

さみしいような、さみしいような・・・・気がしました。

そうして迎えた保護者会。

実は次男のクラスのママさんたちはあまりよくわかりません。

関わりが薄いと言いますか、

わたしが馴染んでいません。

なので、ちょっと居心地も悪いとは言いませんが

そわそわした感じで始まりました。

園長先生のお話に、ハッとされられることが多々あり、

そう、子供との触れ合いが、大切なのだと改めて気づかされましたし、

子供同士の世界の中での関わりで

処世術を身につけていくようになってきているんです。

その中には

自分のいいところ、悪いところを子ども自身が感じることもあるでしょうし、

我慢や自分を抑え込むこともあるでしょう。

でも自分の意思を伝えていくこともまた

幸せになっていくためには必要なのだと伝えて行かなくてはいけません。

どちらか一方だけが我慢して成り立つ人間関係は

長くは続きません。

そんなことも気づかされました。

子供のこの1年で成長した部分を発表していく時間になりました。

わたしが次男の成長で感じていることは

大きくは2つ。

まず、長男のいない幼稚園で皆勤でがんばっていること、

お給食を完食したことが本人の自信につながっていることです。

次男の進級 長男のいない幼稚園

泣き虫次男が自信を持てたきっかけ

自分で言えた!控えめ次男が主張できた日

次男がどれだけの大きなことを、不安を

どんな気持ちで

あんな小さな身体で抱え込んで

自分で消化して、エネルギーに変えて行ったのか。

考えただけで涙が出てきそうですが

次男は乗り越え、

今笑顔で幼稚園へ通っています。

4月に入園予定の長女のことも

「よろしくね」と言うと

うれしそうに「大丈夫だよ、ぼくがいるから」と言ってくれるほどに

頼もしくなりました。

これからが本当に楽しみです。

そしてもうひとつ。

いてくれること、

家族が存在してくれることを「ありがとう」と思える気持ちが育っていることです。

きっかけは祖父、次男からすると曾祖父が亡くなったことです。

祖父の訃報

次男にとってはお葬式は初めてです。

正確には2度目ですが、

初めての時は次男は生後2か月でした。

記憶としてはおそらく初めてのお葬式です。

人が亡くなるということが

こんなにも大きかったということを実感したようで

「ぼくはひいおじいちゃまが死んじゃったことが悲しかった、嫌だった」

と、帰ってきてからも、

今でも時々言います。

そして、その祖父の初盆で九州へ帰省して、

お墓参りなどをしたときに

ひいおじいちゃま、ひいおばあちゃまがいてくれたから、

ばぁばぁ、じぃじぃがいて、

ママ、パパがいて、

長男がいるから、次男がいて、

次男がいるから長女がいる。

そういう話をしました。

そうしたら、次男は「今ここにいて(存在して)くれること」が

ありがたいことだと、

うれしいことだと感じたようで

「ありがとう」と言うようになりました。

「ひいおじいちゃまが死んじゃったことは悲しかったし、嫌だった。

でもひいおじいちゃまがいてくれたから、ぼくも長男くんも長女ちゃんもいるんだ。

うれしいね、ありがとうだね」

そう、言うようになりました。

次男の心のうちすべてがわかるわけではありません。

それでも次男なりに

たくさんの葛藤があって

迷いも不安もあって

それを自分のものとして受け止めた結果が

このやさしい言葉なのかな、と思います。

子供の成長は早いですね。

わたし自身がすごく学ばされた1年でもありました。

そんな話を簡単にさせてもらいました。

その後の保育参観では

あまり笑わない次男が一生懸命真面目に先生のお話を聞き、

ハーモニカを演奏したり、

お給食を食べるところを見ることが出来ました。

1年前の年少さんの時のような

屈託のない笑顔で時折笑う姿にホッとしましたが

やはり、良くも悪くもこの1年は次男を成長させたんだな、

と感じた保護者会、保育参観でした。

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