次男妊娠からの出産

次男を妊娠して、
2回目のマタニティライフをいろいろ慌ただしく過ごしていました。
次男 妊娠中

そうして過ごしていたある日の朝。

その日は大学のお友達でもうすぐ臨月、という子が
里帰りするとのことで会う約束をしていました。

わたしは32週。
まだ出産には早いけれど、
あっという間に30週を越えたなぁ、
無事にここまで来てよかった、
そう思いながら朝のお片付けやらをして
お出かけの準備をしていました。

すると、張りが・・・・・

張りが来ること自体には慣れていたのですが
今回の張りは強い・・・
家事をしていても少し立ち止まるほどです。

しかも次々と来て治まりません。

2回目の張りがあったあと、
すぐに横になることにして
長男と横になりました。

しかし張りは来ます。

3回目も痛みは同じくらい。

4回目も来ます。

治まることはなく、時間も定期的になっています。

これはさすがに危ない。

まず、お友達にキャンセルの連絡をしました。

その間にも張りは来ます。

次に張りの間隔を計ることにしました。

10分を切っていたら
すぐに検診をしている病院へ連絡しよう、
そう考えて計りました。

”7分”

すぐに連絡をしました。

入院の準備はお恥ずかしながら
そろそろしようと思っていて
まだしていませんでした。

「とりあえず一度受診をしてください」

そう言われて、
主人と実家の母に
張りがあるので病院へ行く旨をメールして
貴重品と母子手帳、
長男のお出かけグッズ(オムツなど)を持ってマンションを降りました。

できるだけ慌てず、
落ち着いて、
大丈夫、と言い聞かせながら移動しました。

マンションの前は大きい通りなのに
なかなかタクシーがつかまりません。

長男はうろちょろするような月齢で
ひやひやします。

しかし抱っこはできません。

手をしっかり握って、
突然ふり払われたら追いかけることもできない・・・・・・
また違った緊張が走ります。

道路から離れたところにいると
タクシーは捕まらない、
けれど長男の安全が大事・・・・

長男はそんな緊迫した空気を察したのか
いつもよりはおとなしくしてくれていました。

これがものすごく助かりました。

結局10分以上捕まらず、
タクシーを呼び出そう、と思っていたら
運よくタクシーを捕まえることができました。

女性の運転手さんで
すごく気を遣っていただきました。

タクシーの中ではホッとした安心感からか
張りも少し間隔があいてきて
痛みのある張りだけれども
大丈夫かな、と思えてきました。

「長男ちゃん、協力してくれてどうもありがとう、
ママ、助かったよ」
と言うと
ニコッと笑ったのを覚えています。

まだ言葉は話しませんが
わかっている、そう感じました。

それは言葉を話すようになった長男が
後日このときのことを話すようになって
確信に変わるのですが
これはまた別の機会に。

病院近くは混んでいて、しかもUターンなどをしないといけない車線。

「ここで結構です」と伝えて、
荷物を持ち、長男と大きな道路を横断歩道で渡りました。

長男はしっかりと手をつないでいてくれて
振り払うことなく、安全に病院までたどり着くことができました。

外来の受付をして、
忙しそうな看護師さんへ声をかけて待ちました。

長男を出産した大学病院だったのですが
子供を連れての産科の受診はできない病院だったので
外で待ちます。

すると助産師さんがおなかの張りを見る機械をつけましょう、と
やってきました。

長男を預ける人がいないことを伝えると
機械をつけるのは個室なので、
と特別に一緒に入れてくださいました。

病院へ着くと
何かあってもすぐに対応してもらえる、
と言う安心感から
さらに張りの間隔はあいていました。

痛みも慣れてきていたように思います。

長男も初めてのところでそわそわ、
落ち着きがないながらも
静かにしないといけない、と思っているようで
大騒ぎはしません。

時々くる助産師さんに
「張りが強いですね、間隔はこんな感じでしたか?」
と聞かれ、
強い張りが来て、
横になっても何度かあったので間隔を計ったら
7分間隔にだったので連絡したこと、
来ている間に痛みも落ち着いてきて
間隔もあいてきたことを伝えました。

どうか入院にだけはなりませんように。

願うのはそれだけでした。

長男と一緒にいられる時間は
長男ひとりとたっぷり過ごすことができるのは
もうあと少しです。

長男はこの時1歳7か月。

まだまだ小さい。

まだまだ甘えたい頃です。

出産の時の入院期間が
初めて離れることになります。

わたしのほうが不安だったのかもしれません。

長男がいることで落ち着いていられたのだと思います。

このときは
「まだよ、もう少しおなかにいてね、
もう少し、ゆっくりしよう」

そう、おなかにいる次男に語り掛けていました。

「もう少しだけ、もう少しだけ」

もちろん、今次男が出てきたら
間違いなくNICU行きです。

32週、まだそこに出てきても
呼吸が安定する週数ではないのです。

生きていくにはまだ早すぎるのです。

そうしていたら実家の母が到着し、
長男は大好きなばぁばぁが来てくれたので
喜んでお外へ。

ひとりになりました。

長男を預けられたので安心して
おなかの次男とふたりになったので
目をつぶって、眠る気持ちで
ゆったりとしました。

「もう少し大きくなってからね
今はまだ出てきても苦しいからね
もう少し、おなかにいてね」

さすることはできないので
おなかに手を当てて
語り掛けました。

心の中で。

そして機械をつけるのが終わり、
診察です。

診察の結果、子宮口が指一本分あいていること、
張りは定期的に来ていて強いこと、
これは一種の陣痛であることを伝えられました。

切迫早産です。

長男の出産の時にはあれだけ痛い思いをしても
なかなかあかなかった、
あいても2cmだった子宮口が
まさかの指一本分、これだけの張りと痛みであくなんて・・・・

そして何より
”陣痛”

わたしは長男のときが帝王切開だったこと、
長男がおなかの中で育たなかった胎児発育遅延だったこと、
帝王切開は緊急帝王切開だったこともあり、
長男妊娠中
長男妊娠からの出産
今回は帝王切開予定でした。

つまり、帝王切開の予定日前の陣痛は
子宮破裂などのリスクもあるので
緊急帝王切開に切り替わることを意味します。

頭は真っ白を通り越して
真っ暗。

後では看護師さんたちが入院のベッドの確認をしている・・・・

「・・・・・・・・・まだ張り止めを飲んでいなかったので
飲んで安静にする、ではだめですか?」

先生も「え?」と言う顔。

助産師さんも「それはちょっと・・・・」と言うのがはっきりとわかる顔。

わたしも次男の命を考えたら
入院することはベストなことだとわかっていました。

ただ、突然すぎて
長男と離れることが
ただただ心配で不安でした。

「一日だけでもいいので・・・」

そう声をしぼりだしました。

「上の子をみてもらえる環境はある?」
そう聞かれて
少し光が見えました。

「実家に帰る予定でしたので」
そう、母に相談もせずに言ってしまいました。

一日4回、朝、昼、晩、寝る前とできるだけ6時間ごとに
張り止めを飲み、火曜日でしたが木曜日に朝一で外来へ来るように言われました。

その間も定期的に張りが来るようならば
次はもう、すぐに入院と言われて帰ることができることになりました。

お薬をもらったところで
お仕事中だった主人がお仕事を抜けて到着。

2人には入院をしたほうがいいと
強く言われましたが
帰宅。

わたしの勝手なわがままに
覚悟を決めて協力をしてくれた母と主人、
そして長男、
なによりも次男に
申し訳ない気持ちと感謝です。

次男にとってベストな決断をしなかったわたしは
身勝手な母親です。

ほんとうに、この時の選択がいいものであったという自信はありません。

次男が、わたしが長男ともう少し過ごしたいというわがままと
もう少しおなかにいて育ってほしいという願いを
聞いてくれたのだと思います。

後日、木曜日まで持たずに搬送されてくる、と
病棟では話になっていて
入院の準備をしていた、と助産師さんから聞きました。

「1年ちょっと前に忘れられない出産があったえりぃさんだし、
あの状態で二日も持つなんて考えられないって話していたんです」
と助産師さんが話して、
「ほんとうにがんばってくれたんですね、ご家族と、赤ちゃんと」
と言ってくださったときには
心底ホッとして、涙が出そうでした。

ありがとうしかありません。

その後の帝王切開予定日までは
極力おトイレ以外は起き上がらず横になり
だらだらと生活をしました。

張り止めの副作用は
さすがに一日4回飲んでいたので強く、
暑い季節でしたが
さらにほてりもあり、
動悸が激しく
横になって安静にしているからこそ
余計に感じられて気持ち悪かったのですが
動悸がある、ほてりもある、
副作用があるということは
お薬が良く効いているということだと言う
安心感もありました。

長男も横に来てお昼寝をしたり、
遊ぶ時も目の届くところにいましたが
母、妹や弟、そして大事な愛犬が
長男をほんとうにかわいがってくれて
構ってくれて
長男はよく笑って、よく泣いて、過ごすことができました。

主人はその間一人で生活をし、
お仕事をし、
休日には実家まで来てくれたりと
主人は主人なりに戦ってくれて
感謝、感謝しかないほどに感謝です。

安静中には愛犬が体調が悪くなり、
当時単身赴任中だった父に連絡をしたり、
不安定になることもありました。

わたしが不安定になると
次男にもすぐに伝わって
張りも強くなりましたが

あの日のように定期的に来ることはなくなり
胎動も元気に感じられて
おなかの中でも大きくなってきてくれていて
36週になり、
「もう大丈夫だね」
と言われた時には
本当に力が抜けるほどに安心しました。

無事に里帰りができることになり、
子連れ入院のできる病院へ入院しました。

帝王切開なので前日に入院です。

長男も初めての病院でお泊りに興奮。
主人も泊まれる病院でしたので
主人も一緒に泊まりました。

3人家族最後の日は穏やかに過ごせました。

この日を迎えられたのは
実家の家族の協力、主人、長男、
そして次男の協力があったからこそでした。

当日の朝は張り止めを中止になっていたので
張りが来ていて
お昼の予定でしたが
少しだけ早めに手術室に呼ばれました。

当日の朝の診察で
いきなり
「カイザー横にしたならも次も責任持てよな」と言いながら
他の先生(執刀医)に言われて
「いや、前回に横に切ってくれたのは
緊急帝王切開ながら傷跡を考慮してくれたからで
今回里帰りをしたのはわたしの希望で
許可も得ての入院だし、なにより当日に言われても・・・・・」
とイライラもやもやしました。

さらに、わたしは長男の出産の時には全身麻酔だったので
今回が初めて意識のある中での麻酔です。

ひたすら緊張、緊張・・・・・

固まったまま、身体を横に向けて
背中から麻酔をします。

じわっと下半身が暖かくなり、
自分で足が持ち上がらなくなりました。

「どう?痛みを感じる?」
と聞かれ、
少し怖かったので
「はい」
というともう少し麻酔が追加され
手術が始まりました。

まぁ、普通に痛みがあるわけです。

もちろん軽減はされていますが
朝のやり取りもあったのでさらに緊張していたのだと思います。

頭も麻酔の影響であとで頭痛がくるから動かしてはダメ、
手足も固定されてベッドに当たる部分が痛い、
で気持ち悪くなってきました。

血圧も下がっていたようです。

そしておなかをこねくり回される・・・・・・

早く出てきて!
と勝手ながら思ってしまいました。

そうして次男誕生!

先生たちの一言目は
「うわっ!でかっ!」
でした。

朝のエコーでは2200gで
あぁ、よかった、2000gある!
長男と同じくらいだ♪
と思ったのですが
産まれてきたら3000gでびっくりしました。

わたしの身体からしたら大きいそうで
37週で出産したのに
もっと週数がいっていたら
もっと大変だったのか・・・・と
少し恐ろしくなりました・・・・

しかし元気な泣き声も聞こえて一安心。

お顔も見せてもらえて
ほんとうに産まれたての赤ちゃんを見るのは初めてで
うれしかったです。

ほんとうに、最初に出た言葉は
「よかった」
そして
「ありがとう」
でした。

外で
「おっきい!」
とかうれしそうな声が聞こえていて
眠くなったのですが
閉腹するのにまた現実に戻されました。

痛い、痛い、なのです。

早くベッドから離れさせて、
かかとが痛い、
おしりも腰も痛い、
肩も痛い、手も痛い、
気持ち悪い。

ベッドからストレッチャーに移るとようやくホッとして
眠気が。

地獄はここからだったのですが。

主人、長男と母と妹に会えて
病室へ戻り
血圧を測ると上が120。

検診でも上が80などがザラだったわたしにとっては高め。

まぁ術後だしなぁとか考えていると

しばらくして
呼吸も安定しました、と保育器に入っていた次男がお部屋にやってきました。

つい先ほどまで小さいと感じていた長男が大きく感じられるほどに
次男は小さくて
「わぁ~ちいさい^^」と手や足を触りまくっていました。

この時は写真に笑顔を向ける余裕もありました。

次男が新生児室へ帰り、
主人や長男、母、妹も帰ったあと、
長男はこれから大丈夫かな、と心配していると
痛みが・・・・・・

寝がえりはもちろん打てないし、
横を向くにも脂汗が。

でも床ずれができそうなほどに
かかとなども痛いので寝返りを打ちたい・・・・・

おなかの傷の痛みに加えて
子宮収縮の痛みが激しく、
後陣痛は2人目の方がキツイと聞きましたが
これか・・・・と体感しました。

血圧がやはりそのあと80くらいに下がり、
「座薬も使えませんね」
と言われて、
まだ点滴からの痛みどめも使ってもらえるし、と
考えていたのですが、

痛すぎるので痛みどめをもらって寝たいと思い、
ナースコールをするも
「早すぎる」と。

痛いのに早すぎるも何もないし、
休みたいのに休めないので
はっきり言って次男に関心を持つよりも
痛みとの闘いに四苦八苦。

そんなこんなで夜だから、と次男と二人きりにされて
泣いても起き上がれないし
すごく困って
「なんで泣くのよ」と
産まれたばかりの次男に暴言を吐いて
自己嫌悪に陥りました。

ナースコールを押して
「すみません、夜は預かってください」
と伝えると
「わかりました」
と言われてから1時間来ない・・・・・

その間にも妊婦さんの声や赤ちゃんの泣き声がするので
お産が重なっているのはわかったので
待ち続けると
「ごめんなさいね、つらかったね」
と助産師さんが申し訳なさそうに謝りながら急いで来てきてくれました。

もう一度痛みどめが欲しいことを伝えると
座薬は使えないけれど、と点滴を追加してくれて
「今が、今晩が一番つらいけれど
もうピークだから、あとは楽になっていくばかりだからね」
と言ってくれて
ホッとして、眠りにつくことができました。

助産師さんの言葉通り、
それからは日に日によくなっていき、
痛みも落ち着いて行きました。

ただ、寝返りは相変わらず激痛だし、
そんな中でもお小水の管は抜いたのでおトイレには行かないといけない・・・・・

飛び上るほどの痛みと脂汗で
おトイレに1回行くのに
個室でおトイレが付いているのに
30分近くかかり
戻ってきたら汗だくでした。

次の日に面会に来てくれた長男は15分くらいで
すぐに帰ろう、と母の手を引いて行きます。

さみしい反面、
わたしに執着しないでいてくれるのは
ホッとしました。

自分の回復や次男のことに集中できるし、
長男にさみしい思いをさせている、という
罪悪感が少し軽くなるように感じたのです。

これも長男がわたしに甘えたいのを我慢していた
長男にわたしが甘えていたのですが。

産後4日目、長男の出産の時に使っていた
ウエストニッパーを使いたいと助産師さんに伝えたら
あまり変わらないと思うけれど
使いたいならいいですよ、と言われて
さっそく使うと・・・・・・

目の前が明るくなったかのように楽!!!!!!!!

そこからは歩くのもあまり苦にならず、
調乳指導などにも参加しました。

わたしよりも後に出産し、
同じ帝王切開の人が
「あまり痛くないですよ~」
と言っていたので
「わたしは痛みに弱いんだ・・・・」
と若干へこんでいると
その人初産とのこと。

後産も含めて2人目はこんなに痛いのなら
子供は3人は欲しいと思っていたので
3人目はもっと痛いのか・・・・
と思いましたが
痛みなどはさっと忘れてしまいました^^;

退院の日、
主人と長男と次男と病院前で写真を撮りました。

ものすごく暑い日でした。

実家へ帰ると
長男がくっついてきてくれてホッとして、
さみしい思いをさせて申し訳なかったのと
協力してくれて、
がんばってくれてありがとうと伝えました。

次男の出産はいろいろな人たちの協力があったからこその
出産でした。

このたび、次男が無事に4歳を迎えることができたのも
協力して、見守ってくれる人たち、
家族、主人、長男、長女がいてくれたからこそです。

ほんとうに感謝です。